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Whole or part

自宅仕事場で長年オカムラのバロンチェアを愛用しているのだけど、経年劣化で肘掛けの肘パッド部分が割れてきた。

以前も座面のメッシュが外れてしまったことがあったのだけど、その時はまだ保証期間内だったので連絡するとすぐに無償で取り替えてくれた。

今回は既に何年も経っているし、どうしようかと考えていたところパーツだけをオカムラが販売していると言うことを知った。ただ、当然ながら、どうやって交換するかの説明もしないし、交換による不具合も保証しないと言うことだった。

さて、こういうときはネットの集合知に頼れば分かるだろうと高をくくっていたのだけど、出てくるのは肘掛けの肘パッドの部分だけで無くそのもの全部を交換したというものばかり。

確かに肘パッドの部分は素材が変わっているというのがあちこちに書かれている。もしかしたら、形状そのものが変わってしまった可能性もある。そもそもその部分が取り外せるのかというのもどこにも書かれていない。

肘パッドだけなら2千円ぐらいで済むものが全部取り替えるとなると1万5千円を超える。しかもフレーム自体の素材が変わってるということがチラリと書かれていたりして、出来ることならば避けたい。

色々考えたのだけど、どうせ壊れてるのだしと思って思い切って外せるかどうかを試みてみた。

結果は外すことが出来た。丁度肘パッドの下の段差部分から分割出来るようになっていたのだ。何カ所か爪で止まっているところがあった。肘パッドの方は潰れてしまった爪があったが下側には何も損傷が無かったのは幸いであった。

肘パッドの部分だけ取り外すことが出来たので、あとは新しいものの形が合うのを願うだけだ。

左用の肘パッドはこちらで注文した。

新しいものはこのような形で届いた。裏側を見れば分かるとおり古いものとは異なっている。表側も柔らかい素材に変更されていた。そして形もパッと見たところでは同一のままだった。

 

新しいものを取り付けるには少々コツが必要だった。爪があるのは先に説明したとおりなのだが、その部分(下図矢印部分)を上からかなりの力で「パチッ」と鳴るまで押さえる必要がある。

当初隙間が空いたままになるのはやっぱり新旧による形状の違いなのかと思ったのだけど、爪をかけるのに上記のように力をかける必要があったのだった。

と、いうわけで、もくろみ通り安く肘掛けの修理を行うことが出来た。素材の違いがあるので右側も交換するかと考えているのだけど、しばらくはそのままになりそうだ。

お約束であるけど、この記事の内容を元に肘パッドの交換を試みても、当方はその結果を保証しない。御自分の責任に於いて行っていただきたい。

Object Creation With XML

Objective-Cという言語が面白いのは、コンパイラ言語でありながら、インタプリタ言語のような動的操作ができる点ではないかと思う。

実際にはCの上に構築されたプリプロセッサのようなイメージで、その操作はCのコードとランタイムライブラリへのアクセスへと還元することが出来る。そしてCの部分は隠蔽されることなく使用することが出来、それ故、インラインアセンブラのようにObjective-Cの操作をCで記述したコードを混在させるといったことも出来てしまう。そういった泥臭さはC言語族の特徴と言うべきなのだろうか。

ランタイムライブラリをいじらないまでも、例えば文字列で指定されたクラス名のインスタンスを作成するのはこんな感じで出来る。

Class klass = NSClassFromString(className);
id obj = [klass alloc];

この機能を使用すると、テキストファイルで指定されているクラスのインスタンスを動的に作成するというようなことが出来る。

さらに、標準のXMLパーサNSXMLParserと組み合わせると、手っ取り早く(とりあえずの)設定を読み取り、インスタンスを生成するモジュールを実装することが出来る。

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Touch The Air

12/18の日曜日に、妻の主催する「子どもの音楽会」でKinectを使ったインタラクティブな音楽作品の発表を行いました。

手を叩くと音が鳴るように、空間に触れると音が鳴る、挙動が音になる。そういった、触覚ではなく、音によるフィードバックによる空間と身体のインタラクションだ。それは、空間を楽器にしてしまおうという試みでもある。

マルチタッチサーフェスを仮想的に空間に用意し、触れたり、かき回す(お風呂に腕を突っ込んだり、かき混ぜたりするイメージがわかりやすいかもしれない)ことにより音を奏でる機能を実装してみた。

今回、Kinectを使い、その上でアプリケーションを構築してみるという、わたしにとっては最初の挑戦であり、いくつか入力方法を用意してみて、試していく過程で、わかりやすさ、確実性という点から絞っていった。そこには、「子どもの音楽会」と冠されるように、メインの対象は子どもで、見ただけで、まねしてみただけで出来る事が必要という理由もあった。

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Exhibition Announcement

もう、このエントリーを書く時点では会期がはじまってしまっているのですが、義妹でガラス作家の金子博子さんの企画展に参加しています。

架空の会社「宝の水酒造」をめぐり、様々な作家の方が共演を繰り広げます。

わたしはというと、「宝の水酒造」イメージソング「宝の水」の歌詞に曲をつけ音楽で参加しています。

会場はスタジオ・スティックさんで、今月11月の27日までとなっています。

よろしければ、是非。

I Will Not Forget You

何となくの予感はあったのだけど、いざ訪れてしまうとどんな言葉でも言い表せない。
 
あなたの作品をもっと見たかった。
あなたの示すビジョンをもっと見たかった。

スティーブ、たくさんのワクワクをありがとう。そして安らかに。

A Day In Junkudo 3

なんだか一月がたつのが早い。と、いうわけで、第三回我が家のジュンク堂の日もつつがなく執り行われたのだ。このエントリーは月末にばたばたと書いているわけだが、実際には彼の地震の翌週末だった。

今回、店舗をまた新宿店に戻した。やはり上下移動が少なく1フロアでたくさん見て回れるのは、書架の間を泳ぐという点では優れているのではないかと思う。

まずは前回選んだ3冊だけど、「私デザイン」はプロダクションの現場のパワーと熱気あふれる雰囲気が魅力的だ。そして、タフなのがとても良い。ものつくりの現場は一筋縄ではいかなくて、それでも進むしかないのだ。

「調理場という戦場」浪花節かと思いきや、そこはフランスでの修行を乗り越えただけの事があって、そこここに見え隠れするドライな感覚。それがまたプロフェッショナルなんだなと感じた。この人の作る料理はどういう物なのだろうと思いを馳せる。一度お店に行ってみたい。

「建築が生まれるとき」はカタログと言うよりイントロダクション集みたいな感じだった。美術展のパンフレットの文字の部分だけを集めてきた。そんな雰囲気。最初その感じに戸惑ったけど、要はイントロダクションを読み、ビジュアルは自分でどうにかすればいいという事だ。ときどき姿を現す建築家としての著者の主観による現実世界の切り取り。それは問いかけのようでも内省のようでもあった。

さて、だんだんと難しくなってきてるのが、パターンを避けようとしてアンチパターンにはまらないようにする事だ。前の続きでこれ、でも、これは選んでないからこれ、でもなく、何にも気負わずすっと選び取る。なんだか禅な世界に踏み込みつつあるような気がしないでもない。

そんな中でも、今回はこれはと思った書籍が多くて、さらにその中から選び取るという形となった。書物の世界はどれだけ広いのだろうか。

「秘密は何もない」魅惑的なタイトルではないか。

演劇の演出家の自身の演出についての言及。といっても論文集といった固い物ではなく、序文にもあるように講演を書き起こしたような、そんな本だ。

秘密はない。では、なにがそこにはあるのだろうか。その中を覗いてみたいと思ったのだ。

サブタイトル、いや、そもそも原題が「シンフォニーインザブレイン」となっている。よくよく考えるとローカライズタイトルがカタカナ語で原題と違うという点に不思議な感じを感じなくもない。

帯の「脳波が人をコントロールしているのだろうか」というコピーもとても興味をそそられる。

といっても、サイエンスではなく心理学的なメソッドの話であるらしい。脳波が人に影響するのだろうか。それとも心の揺らぎが脳波の揺らぎとなるのだろうか。

タイトルもさることながら、帯の「デザインには理由がある」というのが心に響いた。

自由奔放ではなく、工業的にも、ユーザビリティにも制約された条件の中でいかにデザインするか。そこがインダストリアルデザインのおもしろさだと思う。

中に読んだ事がある一編があった。どこかで連載していた物をまとめたのだろうか。

Deeply Sleepy

Late 2010バージョンのMacBookAirは待機時間が最大30日という事になっている。その秘密はどうやらある一定時間が過ぎると、スリープがディープスリープに切り替わる事らしい(そしてSSDとの組み合わせのマジックでもある)。

ディープスリープかどうかの違いは、簡単に言えばメモリ上の情報をHDDに待避するかどうかと言う事になる。通常のスリープではメモリを保持するバッテリーを消費する代わりに、起こせばすぐに戻ってくると言う利点がある。

ところで、MacBookシリーズのスリープは通常ではSafe Sleepというモードになっている。何がセーフなのかという事なのだけど、これはバッテリーが持ちそうな間はメモリ上に、危なくなってきたらHDDに待避してディープスリープに移行する仕組みから来ている。

危なくなってきたらという、おそらく残容量をキーにして移行するという点が違うのだけど、自動的にディープスリープに移行する仕組みは元々備わっていた。時間によって移行する仕掛けが新機能というわけだ。

普段持ち歩いていてもこの後はしばらく使わないというのが分かって閉じる事がある。こういうときにあらかじめディープスリープさせておけたら、もう少し使える時間が延びるのではないかと常々思っていた。

MacBookは(OSXはという方が正しいのかもしれない)スリープモードを、スリープのみ、ディープスリープのみ、セーフスリープ(前述の物)の3つのうちのどれかに設定する事が出来る。つまり積極的にディープスリープだけを使うという設定にも出来るのだけど、残念な事にディープスリープからの復帰はLate 2010 Airのように数秒とはいかないのだ。設定してみた物の毎回数十秒待たされるのに閉口して元に戻してしまった。

そこで登場するのがDeepSleepというWidgetだ。使い方はわざわざ説明するまでもなく、以前のバージョン、1.2の時はWidgetを使ってスリープさせたときの挙動を選べたのだけど、最新版の1.5.1はきわめてシンプルになって、押すとディープスリープする。以上。という潔さ。

ただし注意する点が一つだけある。ACにつないだ状態の場合だと、マシンの設定によってディープスリープには移行しないことがあるようだ。

わたしの場合、長時間電車などで移動する間にAir(Late 2008)を使用し、降りて移動する前にWidgetでディープスリープさせるといった使い方をしている。そのまま次の日まで忘れてたりする事もあるのだけど、感覚的にはもっと減ってるはずのバッテリーの残量にびっくりするのだ。

Axonic Labs – DeepSleep Widget – Hibernate your Mac

A Day In Junkudo 2

2月も、ジュンク堂に赴き、その書架の海に潜り、そしてこれはと思う本を探すイベントがつつがなく行われた。我が家ではそのイベントを「ジュンク堂大会」もしくは「ジュンク堂の日」と呼んでいる。どちらでもいいのだけど、そろそろどちらにするか決めておいた方が良いかもしれない。

前回の三冊は、結論から言うとどれもとても面白かった。まず読み上げたのは、「にほんの建築家 伊藤豊雄観察記」だった。頭の中かから現実にそのイメージを物として焼き付けるプロセス、そのパワー、その執念。あたりまえだけど、マクロな視点からミクロな視点まで、ネジをどうするかに至るまで誰かが決めないといけないのだ。それを統治すべく君臨する建築家

そして「たったひとつの冴えたやり方」は文章の軟らかさに完全にしてやられたと言っていいだろう。少年SFという印象で読み進んでいったらあんな結末に導かれるとは!

「重力のデザイン」は二部構成といえるのではないかと思うけど、前半はみっしりと印刷物、とりわけタイポグラフィーと重力という事に対して述べられている。そろりそろりとしか進めないのだけど、知的で魅惑的な、いうなれば都市の風景だ。そして、後半はうって変わって軽やかな郊外の風景とでも言えるデザインの中の写真の話題となる。前半とは違って、なにか作者の思索をみていると言うという印象が強い。

さて、今回はジュンク堂の池袋店で行った。別段店舗を変える理由もなかったのだけど、変えない理由もなかったのだ。ただ、あちこちふらふらと泳ぎ回るには、フロア数が多いというのは意外にやりづらいということが分かった。その点、新宿店は3フロアで横に長い売り場レイアウトなので適している。そんなのは書店の良し悪しとは全く関係ない事なんだけど。

今回感じたのは、どこを起点に見るかというその最初の視点も自分の選択に影響を与えてるのではないかということだ。次回はドリトル先生のように目をつぶって指さしたところからスタートというのも良いかもしれない。狙うは知のモンテカルロ法なのだ。

それでは今回選んだものをご紹介しよう。

デザイナー石岡瑛子さんの、自伝的、プロジェクトがどうやって生まれどうやって完成していったかが当のデザイナーの一人称の視点で語られる一冊。前回の伊藤豊雄氏の話もそうだけど、物が出来ていくその現場というのはパワーがあふれていていい。

書架の一番上の段にあったこの本の装丁がふと目を引き、そしてマイルス・ディビスのTUTUのデザインをやったという最初のカラーをみたときにとても興味を引かれたのだ。

前回建築物を選んだから・・・ではなく、平積みになってるこの本の表紙のアイコンっぽい絵に惹かれたのだ。中を見て建築関係の書籍と分かったときは正直、「あちゃあ、かぶったか」と思ったのだけど、その簡潔にまとめられた建築家の思考カタログ的なところにぐっときたのだ。意識しない所にも建築家の意識が込められている。

フレンチのシェフ斉須政雄さんの自伝。読んでいると、とても元気が出る本。ぐいぐいと読み進んでしまう。

もともとは「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載がベースになってるようだ。

ただ継続してやるという事のすごみを感じる。やってきた人だからこその言葉の本物さを感じるのだ。

A Day In Junkudo

今日は妻と新宿のジュンク堂に行き、おおよそ5千円ときめた予算の中でお互いに気になる本を買うというイベントの第一回を行った。

ジュンク堂という書店は、わたしにとってとても親しみのある書店で、というのも、もともと神戸発祥のこの書店の三宮にある店へ父親に幼少の頃から連れて行かれていたのだった。そして、自分の好きな本と父親がこれと決めた本を一冊ずつ、1ヶ月のうちに一回買いに行くというのがなんとなく我が家の定期行事だったのだ。

それに習ったわけではないのだけど、今年は入力し出力する年と年始に決めて、それならばとなんとなく妻に提案してみたところ開催と相成ったわけだ。妻という他人が入ることによって、さらに別の「目」による発見も期待できる。

金額もお互い1万円というのも考えたのだけど、一年たってみたら(そう、最低一年毎月行おうと思ってるのだ)書籍の量もとんでもないものになってるのではないかというので、とりあえず半額にしてみた。とはいえ、厳密にその予算の中に納めるというゲームではないので、目安ではある。

もちろん、普段から読書量は少なくない方なので、本を読みましょうと言うキャンペーンではない。書店に行って、その書架の海を放浪して、そしてなにかピンと来る本を見つけましょうというのがその趣旨なわけだ。

わたしが人生において最も重要なスキルはジャケ買いのスキルだと思っているのだけど、その話はおいておこう。

いざジュンク堂に行ってみると、自分の書店での行動がいかに目的の本を探すかという行動原理に従ってるかというのに気がつく。どうも先に頭でイメージした本を探すというそんな動きになってしまうのだ。

もちろん、目的のものを買いに行った場合にはそれも理にかなっているのだけど、今回はそうではない。捜し物をするときのコツはいかに探していないところを見つけるかで、そうでないと同じ所を探してぐるぐる回ってしまうのだけど、同じように、固定化した自分のパターンの中で探してみても想像を超えるものは出てこない。

なるべくニュートラルに自分を保ちつつ書架をうろついてるうちに、最初はぎこちなかったのだけど、徐々になんとなく流せるようになってくる。世の中にはいろんな本があるものだなと思う。

そんな中でどうやって本を選び取るか、だけど、それは不思議なもので、まず第一印象で手に取るかどうかが決まり、そして、手にした後にぱらぱらとめくり始めると吸い付いたように離れない、どんどん先を進めたくなる本というのがあるのだ。

そういう本をかごに入れては放浪していたらわずか3冊で予算を少々超えるという結果になった。ぎりぎり判断に迷った本はそのまま書架に戻し、本当に縁があれば次回選び取るだろうとすっぱりあきらめた。

さて、わたしが選んだ3冊は以下の通り。せっかくなのでジュンク堂へのリンクとしたいのだけど、Amazonのようには気の利いたパーツがないので、画像などは直リンクとなってしまって、あまりお行儀がよろしくない。そのうち切れてしまうかもしれない。

いずれもまださわり程度でほぼ未読だと言うことはお断りしておかないといけない。

父が建築家だったこともあり、建築というものには親しみがある。そして建築というものが今年の重要なファクターの一つになるのではないか思っているのだけど、それはそれとして、「アーキテクトとは、チャンスがあれば世界の果てまでも出かけてコンペを競うK-1ファイターのような存在である」という伊東氏の言葉が面白い。

とりあえず第一歩として、とっかかりとなるのではないかという予感があった。

写真のコーナーで見つけた。たしかに副題は「本から写真へ」となってはいるけど、その実はデザイン(主に印刷物)における「重力」の与える影響について書かれた本・・・らしい。たしかに、そういう視点でデザインを考えたことがなかったな、と。その切り口だけでも魅力的だ。

「なぜ鏡像は、左右は逆転するのに天地は逆転しないのか」。森博嗣の小説でもその話題が出てきたことがあったな。

SFの古典的名作・・・らしい。実は読んだことがなかった。まず惹かれたのはその装丁。そして帯にある「生まれも、育ちも、種族さえちがっても、ともだちになれると思った。」というフレーズ。紹介のプロットも心惹かれるものがある。同作を含む短編集が同じ早川からでている。そして、そちらの方が安い。そのせいなのかどうなのか2008年の初版本だった。